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お姉ちゃんの事

愛知県の方とやり取りすると姉の事を思い出します。

私は化粧をすると18歳歳上の姉にそっくり。
化粧をしてなくてもかなり似ている。

私は幼い頃から姉が大好きでした。

何かあったら「おねえちゃん」
欲しい物があったら「おねえちゃん」
泣いても笑っても「おねえちゃん」でした。

姉は私の望むものは何でも与えてくれました。

結婚して名古屋に住んでも、年に4回は
お土産を持って大阪に来て、
幼かった私を必ず喫茶店に連れて行ってくれ、
帰りには必ず私が欲しがるおもちゃを買ってくれました。

家に戻っても、
姉の持ってきている大量の化粧道具が珍しく、
触って散らかしていると、姉がビューラーで
まつ毛をガジガジしたり、私を化粧したりしました。

私が物心ついた時には、姉は既に成人していましたし、
大阪には九州から集団就職でやって来たそうで、
今思うと給料の殆どを私や家族に使っていました。

私が結婚した時も、姉は大喜びして
妻に大量の宝石や化粧品を買い、小遣いをくれて食事に行ったり、
誕生日には電話があり、毎回プレゼントが届くといった感じでした。

私にとって姉は、母であり、自慢のねーちゃんで
不細工な私と同じ顔も、私には自慢の種でした。

そんな姉と3年前
私は生まれて初めて大喧嘩をしました。
愛知県に行ったその日、姉は珍しく機嫌が悪そうで、
どこに行く時も手をつなぐ私と、特に妻に激しく文句を言ったのです。
「あんたたち何歳だと思ってんの!?恥ずかしくないの!?馬鹿じゃない?!」

私は仰天しました。
今まで一度でもそんな事が無かったし、
私が今までに姉から私に対して聞いた事もないキツイ言い方だったからです。

しかし、私も姉も性格はかなり荒い方でした。
(「妻を守らないといけない」)
私は私で、姉が私からは聞いた事の無い台詞を浴びせ、
近所の人が集まる程の大喧嘩をになりました。

姉が大泣きをするので、落ち着けて表面上は仲直りしたのですが、
私はどうしても怒りが収まらず、大阪に帰宅しました。

それから半年の間、私は姉と会いませんでした。
姉から「ごめんね」と一言でも言われれば、
私はすぐに会いに行ったと思いますが、姉も私も
顔だけでなく強情な所までそっくりなんだと、
その時は思っていました。

しばらくすると親から連絡が有り、
姉が結石で入院したがすぐに退院する。
太って困ってた姉が痩せて別人の様になった。
と連絡が有りました。

私がなんだか変だなと思っていると、
妻が「癌じゃないかしら?」と言った。
義姉はドクターなので相談すると、
「退院のタイミングがおかしい」
「癌の可能性がある」
と言われた。

私は何とか仕事を休んで姉に会いに行くと
病院には、やせ細って一瞬誰だか分からない姿になった姉がいました。
「癌だ・・・間違いない」

姉はゆっくり笑った。三河弁で話す
すっかり元の優しいおねえちゃんだった。

☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡

姉「ごめんね、でも、仕事は休んじゃいかんに」

私「ああ、大丈夫やで、会社もだんだん大きくなってるから」

姉「よかったねー。正○クンは頑張り屋だもんでね」

私「それより姉ちゃん痩せたなぁ。こんな形で願いが叶ったらあかんやん・・・」

姉「デブよりいいだよぉ」
姉「あ、正○クン。姉ちゃんが死んでも泣いちゃいかんだよー」
姉「正和クンはうちの家族で一番弱いから姉ちゃんがおらんとダメだら?」


私「大丈夫、泣かへんよ。姉ちゃんの言う事きかんかった事ないやろ?」

姉「えっらそーにー(笑)」・・・・「ごめんね正○クン・・・」



☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡

1週間後に通夜・葬式が始まりました。
家族は取り乱して泣き、葬儀場は大騒ぎでした。
それでも私は淡々と物を運んだり、挨拶したり、兄弟と話をしていました。
出棺の時も私は悲しかったけど泣きませんでした。
「姉ちゃんが泣くなと言って笑ったもん」

しかし斎場に着き、いよいよ火葬となると私はもう我慢できませんでした。
「姉ちゃんごめん」
「泣いたらあかんて言われたのに」
「姉ちゃんごめん」

妻も結婚してから初めて見る私の取り乱し様に驚き泣いてしまいました。

あれからも私はどんなに忙しくても姉の墓参りに行きます。
この前も大阪から車を走らせ、10分だけ墓に行き
すぐに大阪に帰って仕事でした。

今も私の中に姉ちゃんは生きています。
私が化粧をして鏡を見ると、私はとても笑ってはいられません。

そのうち鏡の中の姉ちゃんが笑ってくれるまでは。。。

「お姉ちゃん。オレもおんなじくらいまで痩せたやろ?」



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comment

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如月真琴さんへ

びっくりしました!
ここを探して、埋もれた記事まで掘って下さってありがとうございます。
私は様々な方の思念に支えられて生きていますから元気です。
良い事も辛い事もみんなと共有して生きて行きますので
今後も宜しくお願い致します(^^ゞ

ブログ見にきたらこんなになっているなんて、思いもしませんでした。
私にも8歳下の妹がいますが、やっぱり妹であり娘の様でもあります。
お姉さんの気持ちは良く分かります。

でも今は元気でいらっしゃるので安心しました。
どうぞこれからも宜しくお願いします。

素人名人会 さんへ

あれれ?そんなに豪快ですか?

スペシャル乙女チックに生きてる的な、
ラブリーハートマインドなんですけどねぇ。。。

まぁ、人生色々
男はエロエロっす

普段豪快な美沙さんが泣くなんて
僕が泣いてしまった

ranranさんコメントありがとうございます

いつもありがとうございます。

私にranranさんの半分でも文章力があれば
どんなに読みやすい記事になったでしょう。

これからも勉強の為、お邪魔致しますので
アドバイス等、宜しくお願いします<(_ _)>

愛されるために・愛するために

ひとは愛されるために生れています。
そして愛するために生れている。
それが、人というものが宇宙に一人ではなく、たくさんある理由です。
人は、神ができなかったことを、今この瞬間もしている。

ユングの書いたものに「ヨブへの答え」という本があります。
ranranはクリスチャンじゃない。
でも、ヨブの立ち向かったものに、同じく立ち向かうユングの真摯な姿勢には、とても深く感銘します。

御姉様のご冥福を謹んでお祈り申し上げます。
また・・敢てここでお悔みにならない書名まで書く御無礼をお許しください。

反省・・・・

皆さん、こんな記事にコメントありがとうございます。

なんだかなぁ。。。申し訳ありません。。。

とにかく思った事を書いて、編集もしなかったら
こんな記事になっちゃったんですよね。。。
どうして身内しか知らない話を書いたのかは
私にも分かんないんです(^_^;)

きっと昨日の私は酒の量が足りなかったんでしょう。

ノーテンキ女装のブログなのにごめんなさい。

今日は朝まで呑んでたので元気ですよ♪
皆様のコメントの影響も大きいです。

感謝の意をこれからの私の態度(エロかも)で表す所存でございます。
<(_ _)><(_ _)><(_ _)>

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そうですね
お姉さんはずっとずっと
美沙さんの中に居るはずです

ほら、美沙さん鏡を見て笑ってごらん

お姉さんもきっと
楽しく笑ってる事でしょう

どうしたん

いつも冗談ばかり言ってるのに、疲れたんちゃう?ご飯行く?おごるで。元気だしなさい。

すごくお姉さんのことが大好きだったんですね
大切な人との別れはつらいと思います
わたしもたくさんの人とお別れしてきたから
すごく気持ち分かります。

はやく鏡の中のお姉さんの素敵な笑顔を
見ることが出来たらいいですね。

それが本当に大事な人ほど・・・
いつか絶対そのときが来るから
だからこそ共有できる時間は大事にしたいと
常に思っています。
でも大事な人ほど長生きしてずっと一緒に居てほしいですね


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プロフィール

西條美沙

Author:西條美沙
2009年私はオトコノ娘
美沙になりました

後に西條美沙に名前を決めました

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